友達の絵 (土方殿)を見ると何かが自分の中から湧き出るようで、
言葉がすぐに降ってくることもあったし、
『言葉の形』が輪郭を現すまで待っていた頃があった。
ひょっとして、もしかして、そんな些細な気のせいとも思える感覚を掴み取ろうとしている時間を
ないがしろにしていると自分とズレて行ってしまうのではないかなと思った。
もしかして私は自分の中の調整のためや今を留めるためや自分の今を確認するために
詩を書いていたのかもしれない。
自然の中に神が宿っているというのを見つけていた昔の日本人。
透かしホオズキが透かしホオズキたるには?
雪の降る誰も来そうにない場所に行ってみたり、
穏やかな海と風の通るところと思って先日は視察に行ってみたり。
きっと透かしホオズキが教えてくれる。
コメント