形を求めて

10月から12月まで蝉の幼虫のようにジッとしておりました。

世の中は相変わらずの喧騒で、知らないうちにその渦の中に流されてしまわないように

いや既に渦中なのかもしれないけれど、何より自分に集中する。

そうしなければ、また世の中に合わせたものを作ってしまいそうになるから

自分の中から現れる形、イメージ、テーマ、など

それがどこかで見たような耳にしたようなものに似せてしまわないよう。

Botanic Anthology

例えば、仮に思いついたテーマで形を作り出していったとして

既にそのアート作品のコンセプトや形がどこかの誰かと同じような

植物ではない素材であっても、似てしまっては楽しくない。

花粉の作品を最近よくネットで見かけるけれど、

それってかなり昔に生け花の雑誌で見たことがあったのだけれど、日本人が真似たのか?

植物でアートって危険なのは、素材の事を無視はできない。

そしてフラワー装飾になりかねない。

しかも恐ろしいことにフラワー装飾とアートを混同している人がいるってこと。自分かも?

そしてこんな事書いていると誰かがどこかで真似てそのまま書くこともある文章の危うさよ。

Botanic Anthology

ワークショップなどをしなくなって2年が経とうとしている。

2021年はひたすらその状況に慣れることに徹した一年。

2022年はひたすら作品のコンセプトや形が現われるのを待った一年。

色んなスケッチやメモが壁に貼り付けられている。

寝ているときに夢で見ることも多いし、ふと思いつくことも多い。

頭を使わずに浮かんできたものだけを貼っている。

それがここ最近、これじゃないか?と思えるものがあって

そろそろ作りだせるんじゃないかと思っている。

10月から作りかけていた手を止めて

何もしない日々の罪悪感と向き合って

罪悪感っていう思い込みが罪悪感を作り出しているだけなんだと思ったら

もうそこに意識を向けることがなくなって

そういう思い込みの勘違いで自分を縛るものが、本来なら自分に気づくことでやらなきゃならないことが多くなるし現実的じゃないかもしれないと可能性を疑ってかかってるのかその時にはそこまでしか考えが及ばないのか?そう思って目を逸らそうとワザとわざわざ思い込みを作ろうとしているのじゃないかと

そんな面倒な事を思ったりする。

こういう面倒な事を幼いころから言っていたので両親には叱られていた。

可能性を持たない方が周りに合わせた方が知らない方が楽に生きられると思っているから。

話は逸れたが、結局は自分の畑(生き方)は自分で耕すのが一番良いのだと今は思っている。

昨年12月に見えてきたものが2022年の収穫。

そして何も作り出していないけれど、じっくり制作に向き合う時間を過ごしたということに清々しい気持ちで新年を迎えた。

できあがるまで表には出さないし、どんなものを作っているのかも書けない。

なのでInstagramの更新の頻度は極端に低い。

Instagramの個人のアカウントやフェイスブックでは日常を日記のように載せている。

ではではまた!

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この記事を書いた人

植物の作品からスピリットに響くバイブレーションメディスン

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