個の海に潜る

作品を作るというのか?植物に作らされているのか?解らない時がある。
そう、ブログを書く時も意図していた内容を書こうとページを開いて文字を打ち始めると思ってもいなかった文になっていて、そのまま投稿している。

言葉に導かれているのか?植物が教えてくれているのか?
時々そんな事が起こる。

神がかりのような感じだけれど、霊感を追いかけるつもりはない。

Botanic Anthology

一旦作って、そのまま放置して再度その製作中の作品に呼ばれたら、また足したり引いたり、全く別のものに変容したり、植物とその時々を愉しんでい

意図した形は何だか嘘っぽくなってしまって、植物じゃなくてもいいんじゃないかとさえ思う。
それは花屋で同じものを何百と作っていた時のような感覚。

やるだけやって30年。花業界から離れて植物と向き合う時間を持てている。

ちょっと前ならきっと中途半端に次へと向かっていたなら、また戻っていたかもしれない。
誰もが想像しやすいアレンジメントやスワッグ、ブーケを繰り返し作っていたかもしれない。

それが出来る人はいいなと思う。楽しそうにそれでもきっとそれぞれに大変ながらにやりがいを感じて、花屋で働いている人々を今も羨望のまなざしで見ている。

私も何度も何度もその工程を踏んできた。
「花屋です」と言うと、「あ~アレンジメントとか作る人」で片づけられる。

本当は皆、なんでも出来る。ブライダルのお花も大きな装飾も、デザインも。
ブライダルのお花と花屋は別物と思っている人が多いけれど、花屋さんという枠以前にフローリストなのだ。

生け花も活けたりするし、そのフローリストの力量で様々だ。

Botanic Anthology

お客様ありきのフラワーデザインと個人の中から現れるアートを混同している人もいるけれど、
根本的に違う。

似て非なるそのことに長年、自分はどの位置づけでいたらいいのだろう?と思っていたし、
花業界とも馴染めずに30年もいた。
いつもどこか所在なさげだったし、認めてほしいという欲求が自分の中で渦巻いていた。

花屋の店長も何度もやってきたし、販売に関しては売り上げも作ってきた。
それでもいつも居心地の悪さは変わらない。

それは個人で花屋をやった時も変わらなかった。

Botanic Anthology

ようやく平穏な日々が訪れたのは作品を作る行為に向かいだしてから。
30年間何をしていたのだろう?と思うけれど、全て何をしていようが必要なことだったのだと思う。
自分を知る手がかりを過ごしてきたのだし、その間、沢山の人に助けられてきた。

また今日も作品のために自分のために植物に向き合う。

Botanic Anthology

心震えたあの植物の事を忘れられないから。

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この記事を書いた人

植物の作品からスピリットに響くバイブレーションメディスン

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