観測者の視点を

物理学で観察者効果というものがあります。
波動の動きを観察すると途端に波動の動きに干渉するというもの。
昔、波動を調べていた時にテレビで見た二重スリット実験が印象的だった。
あと、コンクリートの部屋に居ながら、知らない人の視線を感じるか?どうかの実験とかも面白い。

わかりやすいところで
働いているときに見られているとパフォーマンスが上がる人、逆に見られている圧に疲れてしまう人など、
見ている人がその人に影響を与えたということになります。
そしてこの場合、こんなこと意識しているということは当たり前と思う前に何故そうなのか?と考える私は
父からよく北海道弁で「はんかくさい」と言われていました。

おろかである・ばからしい・おかしな(変な) という意味で使います。. 語源となっているのは「半可臭い(はんかくさい)」です。

Botanic Anthology

エネルギー療法もその部分もあるかもしれないと思います。
エネルギー=波動

毎日、こんなことばかり考えています。

このブログも誰かの目に触れる可能性があるという事でエネルギーの循環ができたらいいなと思うし、
誰かが私の作品を見て何かしら派生するものがあると嬉しいです。
それがプラスとなるのかマイナスに響くのかは、その人の在り方にゆだねるだけで、
どちらも正解はないし、善悪もありません。
どう受け取ろうとその人の責任。

コントロールしようと自分の心を無理に動かしてもその反動で、不自然な形で表れてしまうのと同じで
誰かを変えたいとか、世の中を変えたいとか、そう思うでしょう?なんて誘導するとか
マーケティングをするとかは、この実験には不必要なことかもしれません。

ただ、自分のイメージすることがあって、そこに重ね合わせるように作品を作っているような
感じで、いつになったら完成なのか皆目見当も尽きません。

ワークショップをする時、20代の頃から販売をするためにマーケットを知ることからの行動が多かったです。
それが世の中の需要に繋がるからです。
何度もチャレンジしては需要に合っていたものをチョイスしていき、確実なものにしていくそんな積み重ねでした。
消費社会や三越の包装紙のような体裁の需要に疑問をもち、恐怖心が消費を作ると画家の友達に教えてもらったり。

本当に喜ばれるものは何か?と常に研究と実践でした。

その喜ばれるものは何か?という部分はきっとこれからも変わらないのですが、
そこへの道のりは自分を知る度に変化していきました。

ただただ、本心に気づき自身の生き方に気づくと楽になるので、それをどう伝えるのか?
というのと、そんなおこがましいことを考えるよりもちゃんと私自身が自身を全うせよ!という日々。

今のやり方で合ってるの?なんて考える暇があるなら、まずはやってみてから考えよう。とか。

Botanic Anthology


コンセプトリースでそれが出来そうだけれど、それってどこまで教えられる?
何年間もかけて自分を知っていった経緯があるので、自分を自由にする言葉を簡単に導き出せないし、
ワークショップではお祭り騒ぎでその場しのぎで終わったらもうそれで満足してそこからの掘り下げをする事なんて
頭から消えてしまいそうだな、でも誰かがそばにいる事で客観的に自身を見ることができればワークがはかどるかも?

と考えたところで、作品作りに戻る。
別の自分の視点でワークショップで出来そうなことや、商品になるものが先に思いつくけれど、
まだ作品を作ることを煮詰めてから。

そんな行ったり来たりの考えを持ちながら、同時に体液について考える。
運動した方が体液の循環が良いからデトックスしやすくなる。
世界の医学の歴史を調べていた時に体液が病気との関連があると突き止めたのはまだ医学が始まったばかりの頃。
最初は祈祷だったり、悪魔祓いだったり。


身体の循環器の活動を良くするために今日も散歩で1万歩。
まずは自分の循環を良くする。

デトックスすると新しい考えがふと頭に入ってくるかも?

部屋を掃除すると運が良くなるとかそういう類。
病気も体の中にゴミが溜まったものを自助浄化するために起こるもの。なんて知らんけど。
見ている世界は知らず知らずのうちに自分に影響を与えている。

今日もまとまりのない出口がない話しでした。

ではでは。

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この記事を書いた人

植物の作品からスピリットに響くバイブレーションメディスン

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